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迂闊徒然更新日記

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05/13/18:22  陛下逝去

先日、5月11日3:23頃、陛下が亡くなりました。
正確な誕生日は分かりませんが、おおよそ95年の2月頃に生まれたと予想されますので、17歳と3か月の命でありました。
人間だと100歳近いおばあちゃん、言うなれば寿命でしょうか。
こう書くと無情なようですが、姫が逝ってしまった時よりも衝撃度は低いです。
まあ、寿命であったという諦めと、納得できている面も大きいでしょうね。
5/5時点ではまだ多少は元気でしたが、既に死期が迫っていたのは確かでした。
日記では希望的観測を書いていましたけれど、実の所長くないと感じていました。
今日、明日すぐにという状態ではなかっただけで。
姫のこともありましたし、この点は私にも予測できていました。
どんなに頑張ってくれても、今月半ばすらまずもたないだろうと。
諦念というか、迫りくる現実が分かっていたに過ぎないでしょうね。
希望をもてば不可能を可能にできる、確かにこの言葉に当て嵌まることも多いでしょうが、私からすればそれは理想であって現実ではありません。
どんなに努力しようが、希望に縋ろうが、できないことはできない。
近づいてくる死からは逃れようがないように。
陛下の状態がいよいよ悪くなったのは8日でした。私が仕事に行ってから痙攣の発作を起こし母上が病院に連れて行ってくれたものの、病院でもあまりに酷く苦しんでいる様子に、お医者さんからは安楽死の話も出たと後で聞かされました。
飼主である私がそれは絶対に拒むと答えたら、私が帰宅するまでしばらく病院で預かってくれて様子を看るということになったそうです。
言い換えれば、せめて飼主が戻るまで延命処置をしてくれるということです。
そのくらい、状態が悪かったということでしょうね。
5月に入ってからたまに軽い痙攣の発作を起こしていたのでお医者さんに相談していましたが、原因を突き止めるならCTしなければならないが、それをするだけの体力が陛下にはない、ましてや原因が分かっても処置できるかどうかも分からない、という返答でした。
正論です。私もその考えは理解できましたし、余計な体力を使ってこれ以上寿命を縮めるくらいなら、点滴とミルクという処置の方がまだ現実的でマシでしたから。
8日に仕事を終えて帰宅して陛下を迎えに行った時、はっきりとお医者さんから「長くない」と告げられましたが、私自身が「もう長くない」と感じていたこともありまして、冷静に落ち着いて聞けました。
このまま病院に入院させるか、自宅に連れ帰るか尋ねられ、きっぱりと「連れて帰ります」と答え、痙攣止めの薬と点滴パックのセットを貰い、使い方などを聞いて陛下と一緒に家に帰りました。
遠まわしに、自宅で看取るか、入院させて最期を看取らないかという判断を委ねられたんでしょうが、私にとっての答えは前者しか有り得ません。お医者さんの話によると、本人は既に訳が分かっていないので、入院しても不安を感じることはない、とのことでしたけど最期を看取ると私自身が身勝手に決めていましたので。
病院にしばらく置いたのが功を奏したようで、陛下の状態は少し安定していました。
帰宅すると自分で水を飲み、トイレに行くという、驚きの行動をするほどでした。
とはいえ、手足がマヒしてちゃんと動けない、身体を支えられないような状態でしたし、本人にとっては思うようにならなくてもどかしかったでしょうけど。
それでも、自分でトイレに行こうとしたり、水を飲もうとするのを見ると、この子は生きたいんだと、生きようとしてくれているんだと感じられて、物凄く勇気を貰えましたね。
陛下が自分の意志で何とか動けたのは10日まででした。徐々に衰弱していっていましたし、8日の瀕死の状態から考えると、物凄く頑張ってくれていたのだと思います。
10日は特に、私が仕事から帰ってくるまで生きていてくれるだろうかと気が気でなかったですが、あの子は生きていてくれていました。
本音では仕事を休んでずっと傍についていたいくらいでしたが、母上から「あんたが傍にいたって何もできへん。仕事してきなさい。心配せんでも、この子はあんたが帰ってくるのを待ってるから。もし何かあったら連絡するし」と後押しされて仕事に行っていました。
おしめはプライドが許さないのか嫌がったこともあり、姫とは違ってしませんでした。
お医者さんからは眼や耳だけでなく意識レベルでも混濁していて殆ど理解できていないというお話を聞いていましたけど、飼主の欲目ではそうとは思えなかったというのが正直なところです。
声をかけたり撫でたりすればうっすらと眼を開けて私を見ましたし、部屋に入ると小さな声で「ここに居るよ、生きているよ」と教えてくれました。
10日に仕事を終えて帰宅して陛下の様子を見た時、「今夜日付を越えられるかどうか」だとひしひしと感じました。
母上がもう一回分の点滴パックと痙攣止めの薬を貰いに行ってくれましたけれども、「それを使うことは決してない」と私には分かってしまいました。
ああ、この子は今夜逝くんや。私が戻るのを待っててくれてたんや。
分かりたくないと思っても、分かってしまったら受け入れるしかありません。
早々に食事をして風呂に入り、陛下の傍についていました。
徐々に冷たくなる手足を摩り、ゆっくりと呼吸を刻む身体を撫でて、部屋の明かりをつけたまま添い寝をしてその時が少しでも遅くなるのを祈りながら傍にいました。
最期は何度か咳き込んで舌をだらんと出したので、「折角の美人が台無しやないの」と声をかけて抱っこして舌を引っ込めさせ、身体を撫でていると、そのまますーっと息を引き取りました。
飼主冥利に尽きると言いますか、自分の腕の中で死んでくれるというのは幸せなんだろうと思います。私にしてみますと、看取れるのは少なくとも納得できるので。
先代の猫が事故で逝ってしまい、気落ちしている私のために亡き父が出張先の神社で拾ってきてくれたのが陛下です。神社に行ったら陛下がやって来て、そのままキャリーに大人しく入ったので連れて帰ってきたという話でした。その話がどこまで本当なのか分かりませんが、亡き父曰く「ウチの子になりにきたんや」とのことです。
父の言葉を信じるなら、私の為に来てくれたにゃんこだと思いたいですね。
陛下は私に対しては大人しく聞き分けが良く、それでいて飼主に狩った獲物の分け前を与えてくれようとする心の広さ?というか包容力を持ったにゃんこでした。
でも外では女ボスのようなところがあったようで、我が家の庭にはあんまり余所の猫が入ってくることはなかったです。身体もメスにしては5㎏を越えて大きく、若かりし頃はオス猫を猫パンチと威嚇だけで追っ払いもしてました。
追っ払ってから何もなかったかのように私の足元に頭を摺り寄せて甘えて、さっきまでの迫力はどこ?というくらい可愛い仕種を見せたりしてくれたものです。
陛下が逝ってしまった時、初めて私の所に来てくれたことや、一緒に寝たこと、姫とお嬢を産んだ時のことなど、色々な思い出が脳裏を過りました。
飼主の欲目ですが、陛下にしろ、姫にしろ、お嬢にしろよく懐いてくれていると思います。家に帰ると玄関にお出迎えしてくれ、帰宅してからは何気に眼に入るところや近くに居て、傍から離れることはありません。
休日、原稿をしていると膝の上に座って一頻り甘え、しばらくして飽きるとピアノの上にあるお気に入りのビーズクッションに皆揃って一緒に眠るというのが我が家のにゃんこ達の日課でした。
今はもう、それをしてくれるのはお嬢だけになってしまいました。
昨日は一日中私の傍に居て離れませんでしたが、産みの母親でもある仲間が居なくなったことが受け入れ難いのか、お嬢は今日何度も庭に出て陛下を探していました。やはり落ち着かないのだろうと思います。
お嬢も7月14日になると16歳。十分高齢です。
今はごはんをモリモリ食べ、お水もしっかり飲んで元気ですが、来年も同じように迎えられるかどうかは分かりません。少しでも元気で長生きしてくれたら、飼い主冥利に尽きますね。
取り敢えず、まずは今年の夏を元気に乗り切って貰いたいです。

次回の小説の更新は、ヒカ碁はパラレルTreasureか7DAYSのどちらかで。
来週末には何か更新したいですよ。


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