忍者ブログ

迂闊徒然更新日記

迂闊な日々・更新・近況・インフォメ・拍手お返事などなど
NEW ENTRY
04 2024/05 1 2 3 4 6 7 8 9 10 1112 13 14 15 16 17 1819 20 21 22 23 24 2526 27 28 29 30 31 06

07/14/23:29  お嬢逝去

久しぶりのブログが死に関する内容ですので、苦手な方は今のうちにこの先に進むのは止められた方がいいと思います。決して愉快な内容ではありませんので。

もう1ヶ月以上前のことになりますが、5月20日にお嬢が身罷りました。
21歳と約10ヵ月。22歳の誕生日まで2ヶ月を切っているところで、往生いたしました。
もしも生きていれば、今日お嬢は22歳の誕生日となる筈で、非常に残念でなりません。
大往生であったと、死を確認した獣医さんは仰って下さいました。

にゃんこは年をとってくると腎臓の状態が悪くなるそうです。お嬢についても同様で、腎臓病の薬が毎日、点滴が大体二日に一回というサイクルでした。
点滴は当初一週間に一回くらいだったのが、徐々に間隔が短くなって、亡くなる半年前くらいには二日に一回にはなっていたように思います。
他にも年寄のにゃんこらしく、二日に一度の足の関節の薬、一日三回の目薬などもあって、薬を飲むのも、目薬も嫌だったろうに、本当に頑張ってくれていたのだと、改めて感じている次第です。
飼主の欲目も甚だしいですが、お嬢の凄いところは、どんなに嫌でも逃げずに私に付き合ってくれたところです。まだ元気な頃から、点滴は嫌がらずにさせてくれましたし、薬も嫌がりながらも頑張って飲んでくれていました。
あの子からしたら、ありがた迷惑な話だったでしょう。
嫌な薬は飲まさせられる。好きでもない目薬を頻繁にさされる。点滴は嫌がっていませんでしたが、本音ではどうだったのか分かりません。
私にしてみると、腎臓の薬や点滴などで少しでも長生きして欲しい、少しでも身体の状態が楽なようにしてあげたい、そんな一心からしていたことでした。本当に、形振り構わず、必死だったのだと思います。
でも心の奥底では、本当にこれでいいのだろうか?
この子はもう楽になりたいと思っているのではないのだろうか?
私の自分勝手なエゴで、無理矢理生かしているのでないのだろうか?
様々な疑問や不安を感じては、それでも生きていて欲しいと思わずにいられませんでした。
にゃんこの平均寿命からすると、お嬢は相当な高齢でした。人間だと100歳前後か超えているくらいでしょうか?
いつ何が起こるか分からないという高齢であったこともあり、仕事から帰ると、亡くなっていたりしていないだろうか?と不安を抱いたことは何度もあります。
帰ったらまずお嬢のご機嫌伺いを兼ねた撫で撫でタイムをするのが毎日の日課で、未だに私は、お嬢が晩年日中の殆どを過ごしていたピアノ室にまず足を運んでしまいます。
ドアを開けてももう居ないと分かっているのに、無意識にまず入ってしまうのは、習慣というか癖になってしまったのかもしれません。

お嬢が亡くなったのは、動物病院の一室でした。
ごはんを食べさせて目薬などをさした後、しばらくして自分でトイレに行ってから、ぐったりとし始めました。
ごはんを食べさせる時無理矢理であったこともあって、私のごはんのあげ方が駄目だったのでは?と思って急遽かかりつけの動物病院に連れて行きました。
連れて行った時、診て下さった獣医さんの言葉が未だに忘れられません。
「この子はもう限界を超えています。十分に頑張ってくれました。これ以上延命措置をしたところで可哀想なことになるだけです」
ごはんのあげかたが問題だったわけではない。私のせいではないのだと、獣医さんは仰って下さいました。お嬢は寿命がきたのだと。
恐らく、もう一時間ももたない。何分生きていられるかも分からない。
本来なら、家に連れて帰って看取るところでしたが、恐らく帰るまでもたないだろうと判断された獣医さんの計らいで、二人きりにして下さいました。
少しずつ命の灯が消えていくお嬢を抱き締めて過ごした時間は、そんなに長くなかったと思います。獣医さんの判断は正しく、家に帰るまでお嬢が頑張れなかったのは確かでした。
私はその場で、恥も外聞もなくただ泣きながら抱き締めて、お嬢の頭や背中を撫でて最期の時間を迎えました。

未だに思うのは、私の少しでも長く生きて欲しいという我儘に付き合って、お嬢は本当に幸せだったのかということです。
もう、身体は生きる力の限界を超えているのに、それでもなお生きようと頑張ってくれたあの子に、私は少しでも幸せだと感じて貰えることができたのだろうかと。
私はとても色んな幸せをにゃんこ達から貰いました。でも、その幸せ以上にこの子達に幸せを返せていたのか、それは誰にも分からないことです。
お嬢だけでなく、陛下と姫も、私は自分の腕の中で看取ることができました。
多くの人が大事なペットの死に目にあえなかったことを考えると、飼主としてこれ以上なく幸せであったのだろうと思います。私自身も、自分が看取れて良かったと感じています。
自分でも特に嫌だと思ったのは、お嬢が亡くなった後、妙にホッとしたことでした。
あの子に点滴をしたり、薬をもう飲ませたりしなくて良いと思うと、ホッとしてしまって、そんな自分が物凄く嫌だと感じたのです。
そんな私に、母上はちょっと呆れた口調で言いました。
「お嬢は自分だけやなくて、あんたのことも解放して楽にしたいと思ったんやで。あんたもあの子のことを解放したらなあかんやろ。いつまでもぐずぐず言いな」
更に母上は言いました。
「お嬢はホンマにプライド高い子やな。最期の前にトイレにも行くなんて、強い子や。あんたにみっともないとこ見せたくなかったんやで。ちゃんと分かったり」
獣医さんのところで看取った後、ちゃんと死後の処置もして貰えたことを考えると、お嬢がわざわざ連れて行くようにしてくれたのではないかと、不思議とそう思えます。
あの子は最期の最後まで、私の為に色んなことを考えてくれていたのかもしれません。
いや、きっと私がそう思いたいだけなのでしょうが、お嬢の一つ一つの行動がそう思わせてくれるのです。

この日、自宅にお嬢と二人きりだった私は、お嬢が身罷ったことを家族に伝えてすぐ、ピアノ部屋のトイレなどを全てすぐに片付けました。自室に行って、私のベッドから上り下りしやすいように、お嬢のために作った即席階段も片付けました。
後になったらやる気力がなくなると感じていたこともありますが、少しでも他のことをして気を紛らわせていたかったのだと思います。
帰宅した母上や別に住む兄と話し合い、お嬢は自治体での火葬はせずに徒歩20分程の場所にある竹林(我家が先祖代々引き継いでいる土地)の端に埋めることにしました。
自治体での火葬で骨をちゃんと引き取れるならそうしたでしょうが、私の住む自治体は合同葬で骨も引き取れません。姫と陛下は当時埋葬の時間を作れなくて仕方なく自治体での火葬にしましたが、一番長く生きて頑張ったお嬢は自分の手で埋葬したいと思いました。
翌日事情を説明して仕事は休ませて貰い、家族総出でお嬢を埋葬しました。埋葬が終わって盛り土をしていると、兄が分かり易いように何か形を整えようと提案しました。
「じゃあ、前方後円墳にしよか」
誰が言いだしっぺだったのかは定かではありません。どんなノリでそこに行きつくのか不明ですが、埋葬が終わって、妙にハイテンションになっていたんだと思われます。
その時は誰も疑問を持たずに綺麗に前方後円墳の形にして、お線香をあげてお嬢とお別れしました。後になって、あのノリはいかにもうちの家族らしいと、笑い話とすることができたのは良かったと思います。

お嬢が亡くなって四十九日の喪が明けるこの時期まで、ブログを書く気にもなりませんでした。ご報告が遅れてしまい、大変申し訳ございません。

いつも放置プレイのサイトですが、もうしばらく心の整理がつくまでお待ち頂けたら幸いです。
本日、お嬢のお墓参りを兼ねて前方後円墳の形を整え直したりしていると、随分と気持ちが前向きになってきましたので、あまり長くお待たせすることはないと思います。
土を盛り直している時、微かに漂ってきたお嬢が土に還っていく匂いと、確かに聞こえたあの子の鳴き声に、踏ん切りがついた気がします。
それでも気鬱になったりすることもあると思いますが、サイトもPixivも今後とも続けて参りますので、少しお時間を頂戴できれば助かります。
久々にオリジナル(BLですが)の話も書きたいとも思っておりますので、復活の狼煙を上げられるその日まで、もうしばらく休眠状態でいさせて頂ければ幸いです。

最後になりましたが、長々と書いてしまい申し訳ございませんでした。
人によっては不愉快な内容でもあったと思います。
この場をお借りして、心よりお詫び申し上げます。

拍手[0回]

PR
URL
FONT COLOR
COMMENT
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
PASS

TRACKBACK

TRACKBACK-URL